最近、私が好きなアートの共通点って何だろう?と考えてみました。
今私が気になるアートは、例えばマークロスコ。
今私が気になるアートは、例えばマークロスコ。
No 61 Rust and Blue 1953 © Kate Rothko Prizel and Christopher Rothko/DACS 1998 |
ふと本で観た絵が何故か心に残っていて、フランス旅行の際にポンピドゥーセンターで観たときに「好きだ」と確信しました。
あと、同時代のジャクソンポロックも好きだったりします。
http://aokiin.seesaa.net/article/119919025.htmlより |
彼はいわばペンキをばらまいて描くアクションペインティングで有名。
でも、私の場合アクションペインティングというと彼がまず頭に浮かんだりします。
他にも好きなのが、宮島達男さんのLEDを使った作品。
《MEGA DEATH》L.E.D.、IC、電線、人感知センサー 500×3400×1.8cm(installation) 1999/Photo by UENO Norihiro http://www.operacity.jp/ag/exh05.phpより |
河原温さんのこのシリーズ。
http://tokyo75.exblog.jp/page/358/より |
フェリックス・ゴンザレス・トレスの雰囲気も、とても好きです。
こちらは横浜トリエンナーレでの、キャンディの作品。
http://www.jpf.go.jp/yt2001/cyber/artist/039_Gonz/index.htmlより |
オノヨーコさんの、天井にyesの文字だけ書き、それを虫眼鏡で覗かせるこちらも!
http://chigo-mixtape.blogspot.com/2011/02/yes.htmlより |
最近観たのでは、国立新美術館でやっているアーティストファイル展に出展されている、タラドノヴァンさんのこちらなど。
http://www3.nact.jp/af2011/artist/tara_donovanより |
これらの共通点を探っていて、引っ掛かったのが「非中心的」「多声的」という言葉でした。
これは、クレメントグリーンバーグさんの「イーゼル画の危機」という批評文にあった言葉です。
「これは明らかに、始まり、中間、終わりを不要とする類の絵である。」(Greenberg 1948)
もちろん私の「好き!」は絵だけに限りませんが、この考え方がもしかしたらぴったりくるような気がします。
例えばロスコやポロック、モネのオールオーヴァーな画面は、まさに中心がなくて始まりも終わりもない(かなり乱暴な見方ですが)。
でも、トレスの作品はどうなるの?という疑問も。
こちらは最終的にはキャンディがなくなる=終わりがある。
でも、考えてみればトレスの作品は、その時々で様子が変わるものです。そして、その変化の仮定こそが作品。
ということは、常に流動し続ける始まりも終わりもないものとして理解しうるかもしれないなぁと思うのです。
(結局、オールオーヴァーだってキャンバスという枠があるじゃん!ってことと一緒。)
その流れで、オノ・ヨーコさんの過程を大事にする作品も好きなのかな。
それにしても、このような考え方ってニーチェ(永劫回帰)だとか仏教(輪廻)とかと近いのかなぁ…。
あともう一つ引っ掛かったのが、「美よりもむしろ歓喜」という言葉でした。
ピナ・バウシュの《私と踊って》のラストの叫びなどがまさにそれ。
こちらもまたいつかしっかりと考えてみたい概念です。
ひとりごと、終了。