2011年3月30日水曜日

シュルレアリスムって、難しいのかな


Le Surrealisme:超現実


私、正直言ってシュルレアリスムは苦手でした。

シュルレアリスムの作家と言えば、例えばダリ

http://movie-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b0e0.htmlより


とかマグリッドぐらいしか思いつきませんでした汗

絵も、人の内臓が飛び出している考えるだけで恐ろしい絵や、まぁ現実じゃ起こらないよね!という(言ってしまえば)変な絵という印象がありました。
なんとなーく、近付きがたい雰囲気。

どうやら周りの人にも賛同してくれる人が多いらしく、
「シュルレアリスムは難しい」
そんな声をよく聞きます。


そんな私でしたが、
この前行ったばかりのフランスのポンピドゥーセンター所蔵作品でシュルレアリスム展がある!
との話を聞き、ちょっぴり勉強&シュルレアリスム展見学してきました。


勉強すると言っても大したことはしていなくて、アンドレブルトンたる人物の著作『シュルレアリスム宣言』を読んでみたくらい。
http://ow.ly/4pypxより


私のわかった範囲で言うと、シュルレアリスムは「ダダ」という、とにかくそれまでの伝統とかに全部
non!(ノン!)
と言ってしまうような芸術運動から発展したものだそうです。

それに名をつけて宣言を出したのが、アンドレブルトン。
彼は詩人です。つまり、始めは文学運動だったらしい。

そういえば、シュルレアリスム展にあった解説文らしき文章がめちゃくちゃわかりにくいのですが、あれもある意味では文学におけるシュルレアリスム作品なのかなー?と思いました。


結局アンドレブルトンの言いたかったシュルレアリスムのポイントは、
・自動筆記(オートマティズム)
・夢
の2つ。

1つめは頭じゃなくて身体でかく(書く、描く)みたいに、考えずにかくこと。
麻薬を使ってトランス状態でかいたりしていたみたいです!

そして2つめは、まさに寝ている時に見る夢をかくことです。

どちらも、普段意識している世界じゃなくて、無意識の世界だけど確実に自分の中から生まれてきた世界。
そこに真実がある…!というのがブルトンの考えな訳です。


無意識と言えば、やっぱり精神分析学者のフロイトの影響を受けてます。
http://www.2px.jp/psycho/p3.htmより



ちなみに、フロイトが無意識とともに提唱した概念、超自我における「超」の使い方が、私の中では気になってます。
超自我は、乱暴に言ってしまうと1人の人間を超えてあらゆる人々が共通して持っている意識だと私は認識しています。
(あれ、これ勘違いだったら指摘お願いします…!!)

シュルレアリスム=超現実で焦点が当たっているのは、超自我ではなくて無意識。
だけど実はその裏には、超自我と同じような「超」の解釈を適応して
個人としての現実を超えた現実=あらゆる人々が共有しうる現実、言ってみれば真理の世界
を示す意図があったのかも?

でも、シュルレアリスム(超現実)はアポリネールっていう詩人の言葉をブルトンが再定義したものなので、違うかな(汗)




こんな予備知識を持って参戦した国立新美術館でのシュルレアリスム展では、自動速記からコラージュ、更にはレディメイドと流れているみたい。
自分で作るのではなく、今あるものの組み合わせ方や見せ方で予想外な効果が生まれるってことなのかなと思います。
この「予想外」というところがまさにシュルレアリスムのポイントなのです。


実は私、今回の展示でデュシャンの『グリーンボックス』が見られただけで満足だったりします笑
http://d.hatena.ne.jp/roseselavy/20100225/1271519441より

作品の指示書であって、かつこれこそが作品と言えるメモ軍。
これはシュルレアリスムというよりも、後のコンセプチュアルアートと言ったほうがいいのかな。

しかもこの後に行ったフレンチウィンドウ展で、その指示書によって作られた作品、通称大ガラスのミニも見られたからさらに大満足。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/cinefil60s/view/200601より


これら2つの展示をセットで見ると楽しいです!






さて。


思い切り脱線ばかりしていましたが、結局言いたかったことは、シュルレアリスムが難しいのは当たり前なのではないかということ。
だってそもそも意識できない世界、無意識の世界をえがこうとしたのだから、よく分からなくて当然なのではないかなーと思うわけです。

だからこそ「難しいー泣」ではなくて、「もしかしてこういうこと?!」って自由に考えてもいいんじゃないかな。

これはよくわかっていない私の言い訳でしょうか汗




アンドレ・ブルトンの宣言中の言葉。

きっぱりいいきろう、不可思議は常に美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。