2011年5月27日金曜日

こっそり、信仰告白。

何でもいいからレポートを書くことになり、ふとしたきっかけでAlexander McQueenへの私の愛(笑)を書くことにしました。
あまりに恥ずかしくなったら消すか公開設定日時を巻き戻して隠そうかと思います。









2010年2月11日、アレキサンダーマックイーンは自殺した。


実はこの日は、私の早稲田大学受験当日であった。早朝にこのニュースを知った私は(どうして受験当日にそんな時間まで起きているのかという質問は受け付けない)、その日一日中そわそわしていた。そんなコンディションの中、無事私は早稲田大学文化構想学部に合格し、今在籍している。偶然としか思えない。




そんなことはさておき、アレキサンダーマックイーンの服とショーが大好きであった私にとって、この日は非常に印象的な日となった。そして、服及びショー全体を作品と呼ぶならば、彼の近年の作品にはこの自殺を予期させるものがあったことに気づいた。彼の晩年の6期、中でも2009年SSから2010AWの4期は目を見張るものがある。この時期に彼の作品は永遠のテーマとも言える「生(/死)」に最も接近し、かつそれに対する応えを出そうとしているのだ。


このことを示すに、まず2007年AWまでの彼の作品を検証する。


各シーズンへの事細かな説明は割愛させていただくが、彼の作品は概して良くも悪くも「目を引く」ものであった。例えば1999SSはジャクソン・ポロックのアクションペインティングを意識したかのようなパフォーマンスをしている。2001SSなどは、アート界を騒がすダミアン・ハーストの作品を連想させるガラスケースを置き、独特なショーを行なった。麻薬使用が報道されて危機にあったケイト・モスのホログラムをショーのラストに登場させた2006AWは記憶に新しいだろう。他にも、彼は毎シーズン大規模な装置とリアルクローズとは言いがたい服を見せてきた。まさに良くも悪くも話題性に事欠かないことが彼の大きな特徴なのである。


では晩年の4期はどうだったのか。それを述べるために、まずは2008年SSを取り上げなくてはならない。このシーズン、彼は自分がデザイナーとしてデビューするきっかけを与えてくれたイザベラ・ブロウが亡くなったことを受けて、彼女を追悼するショーを行なった。その内容は、彼女が好きであったような服をマックイーンお得意のテーラードや装飾的な自然モチーフを用いて表現するというものであった。このシーズンの服は、彼のそれまでの服と照らし合わせてもとりわけ目立った変化はない。しかし、ここで注目したいのは「死」というテーマを自分の親愛なる人物の死を通じてリアルなものとして扱っていることである。


彼は自らのブランドのアイコンにどくろマークを用いている。これがファッションにありがちな「イメージだけの借用」であったのか、それとも何か深い理由があってのことなのかは、残念ながら私は知らない(どうして彼がアイコンにどくろを選んだのかを知っている方がいたらご教授願いたい)。少なくとも言えるのは、彼は「死」に関して無関心ではなかったということだろう。しかし、彼の作品で「死」が2008SSほどリアルなものとして扱われたことはそれまでなかった。その意味で、このシーズンは注目に値する。


その後2008AWは貴族の服装史を辿るかのような壮大なショーを見せる。貴族趣味は彼の定番であるが、歴史を総括するようなショーという点ではこのシーズンは一位を争うだろう。しかし、いかにも「彼らしく」、予定調和的とも言える。




では、やっと本題に入ろう。2009年SSコレクションは、「NATURAL DIS-TINCTION UN-NATURAL SELECTION」というテーマのもと、強く動物や植物の生命の大切さを訴えかけるものとなっている。服の形態も、未だに彼のトレードマークであるテーラリングの片鱗は見えなくもないが、かつてないほどの有機的なシルエットである。さらに、自然をイメージしたと思われるテキスタイルの凝りようなどを見ると上辺だけのテーマ設定とは思えない。このショーには、おそらく2008SSに「死」という形で火がついたと思われる彼の生命に対する思いが、「生」という形で現れているのだ。
 
さらに、2009年AWでは自らの過去のショーで実際に使った舞台装置をそのまま空間構成に活かしている。これは自らの「生」を振り返った結果生まれたと見ることが出来るのではないか。それらの舞台装置を黒く塗りつぶしていることも、彼の振り返りの結果として非常に興味深い。
 
中には2009年の2つのショーを、社会における環境問題に対する意識の盛り上がりを受け、いわゆるポリティカリーコレクトネスを主張している作品だと見る人がいるかもしれない。まさに彼の特徴である話題性づくりの一つであるということだ。そのような人は、これらの作品をマックイーン自身の「生」に対する思いであると読み取るのは行き過ぎだと言うかもしれない。しかし、次の2010年のコレクションを見ると私がこのように意見する理由を感じてもらえるだろう。


2010年SSコレクションのテーマは、「PLATO'S ATLANTIS」である。始めは地球上の生物を連想させ、終盤に向けて大きく包み込むような水ー生命の源泉を産み出した場所を示唆するテキスタイルは秀逸である。これは2009SSの動物や植物に対する「生」の意識よりもより包括的な「生」を示唆しているように見える。また、このショーでは驚くことに彼の定番であるロングドレスやスーツ風のディテールが皆無である。今まで執着し続けたものを捨ててまで表現したかったものがあるのだろう。このショーには強い「生」へのメッセージがこめられているのだ。そして、このショーはそのテーマからもわかるように、社会的なポリティカリーコレクトネスを主張するような素振りは見られない。純粋に「生」なのだ。


ここまで2009年SS~2010年SSをまとめると、まずは動植物の「生」へ、次に自らの「生」へ、そして地球上に生きる生命体全体の「生」へと彼の関心が掘り下げられていったことがわかる。これは彼にトレードマークを捨てさせるほどの強い関心であった。話題性を狙った上辺だけのものでない、「生」への真摯な向き合い方が見てとれるこれらの作品に私は高い評価を与えたいのである。




最後に忘れてはならない作品がある。自殺直後に発表された彼の遺作、2010AWである。 おそらく勘のいい方ならば、ここでもテーマは「生」にまつわるものなのではないかと考えるだろう。私もそのように考えている。しかし、ここでの表れ方はそれまでと異種のものである。それは、宗教への忠誠心という形で現れているのであった。


2010AWは、それまでの有機的な形からうって変わって、司祭を思わせるシルエットに宗教画をモチーフにしたテキスタイルを用いている。一見すると「キリスト教をテーマにしてみました」レベルの引用とも取れなくはないが、前の3期の作品を見るとこれは決して表面上のそれとは考えられない。彼の「生」は明らかなキリスト教への忠誠心という形になり、作品に現れ、そして自殺という形で完結したのだ。


こう考えると、このタイミングで彼が死を選らんだのはある種の必然だったのかもしれないと思われてくる。「生」をひたすらに考えた結果、彼は今現在の地上を離れ、神のいる天国を選んだ。彼の長く続いた「生」の探求は、こうして終わりを告げた。


改めて、私が2009SSから2010AWに対して特別な思いを抱く理由をまとめよう。それは、まさに彼の「生」の結集である。私は、一人の人間の「生」を垣間見たのである。




彼の服は、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館で展示されている。あまりの人気に会期を延長したそうだ。「生」をその作品に捧げた偉大なるデザイナーが、人の心、そして単体の人を超える歴史の営みに刻まれていくのは非常に喜ばしいことである。